みなさん、こんにちは!
管理人のumiです。
今回のこの記事では、先月北海道旭川の雪の積もった公園で凍死している状態で見つかった当時中学二年生の廣瀬さあや(爽彩)さんの家族や生い立ちについて調べていこうと思います。
廣瀬さあや(爽彩)さんは、中学に入ってから周囲の小中学生などから集団で性的ないじめをけており、精神的にも身体的にも追い詰められていました。
そして、最後にはこのような非常に悲しい形で14年という短い人生に幕を閉じました。
この事件は今もかなり注目が集まっており、現在ネットなどでは廣瀬さあや(爽彩)さんをいじめたとされる加害者グループを多くの人が特定しようとするなどの動きを見せています。
今回は、このとても悲惨なイジメ事件の被害者になってしまった廣瀬さあや(爽彩)さんはどんな方だったのか、そして家族などについて以下のことを改めて調べていこうと思います。
これらのことについて、調べていきたいと思います。
この北海道旭川で起きた悲しいいじめ事件は、加害者に注目が集まりがちではあると思います。
それだけいじめ加害者はひどいいじめを廣瀬さあや(爽彩)さんに繰り返したわけですから当然の世間の動きといえると思います。
しかし今回は、このひどいいじめの被害者になってしまい14年というあまりに早すぎる人生を終えてしまった廣瀬さあや(爽彩)さんや周りの家族に注目してみたいと思います。
この事件に関心がある方、そして廣瀬さあや(爽彩)さんがどんな少女だったのか少しでも伝えていければと思いますので最後までお付き合いくださいませ。





この記事はこんな感じー⭐︎
廣瀬さあや(爽彩) の母親や父親はどんな人?

まず、廣瀬さあや(爽彩)さんの母親と父親について調べてみた結果・・・
母親や父親についての情報は見つかりませんでした。
こういった悲惨な事件の被害者家族ですし、個人的な情報は守られて当然だと思います。
しかし、この悲惨なイジメの被害者となってしまい命を落としてしまった廣瀬さあや(爽彩)さんの母親は・・・
「これ以上、このような同じようなことが二度と起きてほしくない。」
「爽彩(さあや)が生きていたということを知ってほしい」
という思いで文春のインタビューに答えている
かなり今お母さんは憔悴しきっている状態だといいますが、大切な娘の爽彩さんのために、この事件について取材を受けています。
この想いからも心の芯の強い女性だなと私は感じました。
また、廣瀬さあや(爽彩)さんが失踪した時には・・・
このように、積極的に一生懸命に廣瀬さあや(爽彩)さんを捜索していました。
過去にはSNSもやっていて色々と廣瀬さあや(爽彩)さんに関する情報を発信していたようですが、今現在はアカウント削除したのか見つけることができませんでした。
想像すれば分かると思いますが、自分の大切に育ててきた娘をこんな最悪な形で失ってしまってきっと今は深い悲しみの中で生きていることに必死なんだと思うんです。
「時間が経てば大丈夫。」などという簡単な言葉はかけれません。
事件の経緯や加害者についてはこちらで詳しく↓

でも、どうか廣瀬さあや(爽彩)さんのお母さんがこの先の人生の中で少しでも笑顔になれる時間が増えていってくれればと心から願うばかりです。
では次は、廣瀬さあや(爽彩)さんの家族構成についても調べてみましたのでご覧ください。
廣瀬さあや(爽彩) の家族構成は?

廣瀬さあや(爽彩)さんの家族構成について調べたところ・・・
市内のアパートで母親と娘の2人暮らしだった
実は、廣瀬さあや(爽彩)さんが4歳前後のころに、両親は離婚しています。
それからはずっとシングルマザーとしてお母さんはアパートで廣瀬さあや(爽彩)さんと2人暮らしで、一生懸命に廣瀬さあや(爽彩)さんを育ててきました。
廣瀬さあや(爽彩)さんのご両親は10年前に離婚していたそうですから、14歳になるまで二人三脚できっと頑張ってきたんだと思います。
イジメ加害者の家族のコメントで、「被害者家族にも問題がある」と発言した保護者もいたようです。
人の親として、こうした事態を受けて言う言葉ではなく非常に親としては恥ずかしい人だなと思いました。
個人的に私は「片親だから家庭環境がよくないんじゃないか。」などという意見はめちゃくちゃ大嫌いなんですよね!!
ましてや、自分のこどもが加害者で一人の命をうばってしまったというのに、こんな事を言えるという気がしれません。
廣瀬さあや(爽彩)さんのご両親は離婚しているという事ですが、さあや(爽彩)さんの記憶にお父さんの面影は残っていたのでしょうか?
そして今、廣瀬さあや(爽彩)さんのお父さんはどんな気持ちなのでしょうか。。。
考えると、本当に辛く寂しいと思います。
私の友達にもちょうど子供が4歳くらいの時に離婚してシングルマザーとして頑張って育てている友達がいるのですが、一人での子育ては本当に大変だと聞いたことがあります。
友達は何度も何度も辛く寂しい思いもしたようですが、それでも子供だけは幸せにしたいと必死に子を守り、育てています!
地域の支援もそうですが、困った時に頼りになるのは友達だったと話しています。
もしかしたら廣瀬さあや(爽彩)さんも周りの方に支えてもらいながら、必死にさあや(爽彩)さんだけは幸せにしたいと思って子育てをしてきたのかもしれませんよね。
そんな母娘2人の小さな家庭の幸せをぶち壊した今回のいじめ事件、到底許せるはずがありません。
では次は、廣瀬さあや(爽彩)さんの生い立ちについてご紹介していこうと思います。
廣瀬さあや(爽彩)さんはどんな少女だったのでしょうか?
廣瀬さあや(爽彩) の生い立ちは?
廣瀬さあや(爽彩)さんのお母さんが話してくれた内容をまとめてみたのでご覧ください!!
- 2006年旭川で生まれる
- 出生体重は3384gでとても元気な女の子だった
- 小さい頃からとても健康優良児で食べることが大好きだった
- 元気に学校に通っている時は、「給食5回もおかわりしたよ!」と話してくれることも。
- 自然や鳥の鳴き声がとても好きな女の子だった。
- 緑に囲まれた公園で静かにベンチで勉強をすることが好きだった。
- 将来の夢は「法務省で働いて正義の味方になりたい。」と話していた。
この話からも、廣瀬さあや(爽彩)さんが穏やかで優しい性格だったのかが分かりますよね。
将来の夢も、法務省で働いて正義の味方になりたいという明確な正義感溢れる夢をもっていました。
この時、お母さんは「弁護士ではだめなの?」と聞いたようですが「悪い人の味方はしたくない。」と話したようです。
「こんなにしっかりした正義感の優しい少女がなぜ・・・。」とどうしても思ってしまいます。
もしかしたら、いじめ加害者グループはこうした優等生な感じが気に食わなかったのでしょうか?
そうだとしたら、ただの嫉妬、妬みでいじめをしていたという事になります。
私がいじめ被害者の母親なら、絶対に相手を許せないだろうなと思います。
いや、私でなくてもきっと誰でも自分の大切な子どもがこのような目に遭えば、許すことは到底無理でしょう。
廣瀬さあや(爽彩)さんは、このように前向きで優しい心の少女でしたが、中学に入っていじめ加害者グループから標的にされてから、全て変わっていきました。
廣瀬さあや(爽彩)さんのお母さんによると・・・
- 自己否定を何度も繰り返すようになった
- 「ごめんなさい」「殺してください」などという独り言をいうようになった
- 外が怖くて外出することが困難になった。
- 「お母さん、死にたい・・・」という事もあった
親として、子供からこんな言葉を言われたらどんな気持ちになるでしょう。
目の前の世界が歪むくらいにショックでしょうし、我が子の心配で頭がいっぱいになるでしょう。
また、廣瀬さあや(爽彩)さんは絵を描く事がとても好きな子だったのですがいじめをうける前と後で大きく絵が変化したようです。
廣瀬さあや(爽彩)さんの絵も紹介していきます。
【いじめをうける前に廣瀬さあや(爽彩)さんが書いていた絵】
【イジメを受けたあとに書いた廣瀬さあや(爽彩)さんの絵】
どちらも、とても絵が上手だと感じますよね。
しかし、絵を見てもらえば一目瞭然でわかるかと思いますが、いじめを受ける前はカラフルでポップで明るい感じの絵を描いていたのに、いじめを受けた後は色が黒一色のモノトーンになり、絵のテイストもかなり変わり悲しみやくやしさを感じさせるような絵だと感じました。
もしかしたら、この絵の変化も廣瀬さあや(爽彩)さんが出していた心のSOSのサインだったのかもしれません。
廣瀬さあや(爽彩)さんが亡くなった今となっては、手を差し伸べることも助けることもできないことが本当に悔しくてつらいです。
お母さんも、あまり自分を責めないで少しでも心穏やかにいてほしいです。
まとめ:廣瀬さあや(爽彩) の母親や父親はと家族構成は?生い立ちも気になる!
これまでの廣瀬さあや(爽彩)さんの家族や生い立ちについての情報をまとめてみましたのでご覧ください!!
- 父親と母親のプライベートな情報は見つからなかった
- 廣瀬さあや(爽彩)さんのご両親は約10年前に離婚している
- 両親が離婚してからは母一人子一人でアパートで暮らしていた
- 廣瀬さあや(爽彩)さんは幼少期はとても健康優良児だった
- 食べることや絵を描くことが大好きな女の子だった
- 将来の夢は法務省で働き、正義の味方になるという心の優しい持ち主だった
- いじめを受けた後は引きこもりがちになり、好きな絵のテイストもガラリと変わってしまった
いかがでしたでしょうか?
廣瀬さあや(爽彩)さんの眼鏡をかけた写真からは、さあや(爽彩)さんの柔らかい人柄と優しい笑顔が伝わってきます。
この写真は、久しぶりに外に出て仲良しの知り合いにあった時の写真だそうです。
こんなに可愛くて素敵な笑顔をする子だったんですね。
私はこの笑顔を見る度に、胸が締め付けられます。
そして、それと同時にこの国の少年法というもののあり方にどうしても疑問を持ってしまいます。
廣瀬さあや(爽彩)さんは、14年という短い人生に幕を下ろしました。
そして、廣瀬さあや(爽彩)さんのご家族や親せき、友達の皆さんは今もこの苦しみの中で必死に戦って生きています。
どうか、廣瀬さあや(爽彩)さんのご家族や友達、親戚の方がいつの日か少しでも日々を穏やかに暮らせる日が来ますように。
ここに、廣瀬さあや(爽彩)さんのご冥福をお祈り申し上げます。
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これにて失礼いたします。




